美景郷愁

07 28, 2013 | Posted in 短編 | Thema 小説・文学 » オリジナル小説

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 お久しぶりです。初めての著作物が論文になりそうな樹です。あれっ、そういえば論文って著作権移譲してるんだっけ……。

 さて、今作は企画用としてとある作品を書いてたら、思っていたより時間がかかり、結局お蔵入りして、じゃあ軽く数千字で書こうかと思ったら、1万字を越えるという、ボリュームのマネジメント力不足を露呈する作品となってしまった毎度おなじみの迷作となっております。ちなみに、第二回目の企画として、作品募集していますので、興味がありましたら、是非ご一読いただけたらと思います。

 かなり前に、書いた作品を色々とごちゃまぜにした、ショートショートの集まりのようになっています。ただ、内容としてはつながっています。


【あらすじ】
かつて、一緒に旅をしようと、町を飛び出た友は病に倒れた。ハンナはエイミーの思いを胸に旅を続ける。旅の先で、ハンナは虹色の流れ星を見る。落ちた先で出会った、灰色の羽を持つ少女サラとの旅で、二人は惹かれ合うのだが……

~美景郷愁~


 旅人ノ話

 旅は新たな旅を生む。それは絶対的な法則だ。少なくとも私にとっては……。
 ある人は、旅には終りがあるといった。自分の故郷に戻ってハッピーエンドさ、と嬉々として語った。そいつは旅先で恋人と結ばれ、新たな故郷で生涯を過ごすと決めた。
 ある人は、自分が死ぬまでが旅だ、と自慢げに言った。そいつは旅先でスリに会い、乞食として暮らしている。今も生きているかはわからない。もともと旅の財産――一生を遊んで暮らせるだけの――が元手だっただけに、“生き方”を知らなかったのだ。
 旅をすることは生きることだ、とかつては友人で、灰となってに眠るエイミーは言った。すなわち、旅をやめたとき人は死ぬのだ、と。
 それがいつのことであったかは、もう思い出すことができない。それでも、彼女との旅路は今でも鮮明に思い出せる。「想う者との思い出は、心に鮮明に刻まれるものなのさ。最初は優しい傷かもしれない。だけど、時にそれは消せない、深い傷跡ともなる」という言葉を誰かから聞いた気がする。なるほど、どうでも良い者との記憶は、かくも薄い。
 旅の初め、故郷を離れ、私は彼女と数ヶ月間の異国巡りをした。エイミーは不死の病を宣告されていた。
 彼女にとって最後の町で、エイミーは死の床にありながら言った。
 ――あたしはまだ旅をやめたくない。だから、あたしを連れて行って。
 土葬だと、冷たい地面の下にずっと眠っていなくてはいけない。だから、私は彼女の遺体を勝手に持ち出し、炎の中へと寝かせ、骨とした。決して大きくはない背嚢(はいのう)の中に、エイミーは眠っている。
 私の旅した地では、火葬は禁じられていた。すぐにその地を発つことになったが、未練はなかった。

 その頃から、私は魔女と呼ばれるように成る。
 きっかけは何だったろうか。地球が太陽の周りを回っていると叫び死罪に問われた男の本を持っていたから、あるいは毒薬として知られる草を薬として使っていたからかもしれない。もしかしたら、盗みを働き、盗んだ銃で私に刃を向ける人々を殺したせいかも……。
 旅をするには生きなければいけない。生きることとは、すなわち殺すことに等しい。

 世界はこんなにも醜くて、憎しみに満ちている。
 しかし、故に世界は美しい。人々の黒く歪みきった思いと、自然の魅せる純粋な色彩が、コントラストとなって映り、さらなる感動を与えてくれる。
 歌うように揺れる木々のざわめき。日毎に表情を変え、涙を流し、時に満天の星を散らす空。
 時に大地は干からびて、あるいは砂しかない死んだ大地にも訪れた。生命の気配のない世界を、私はただ美しいと思った。
「見えるかい、エイミー?」
 姿の見えぬ彼女を思い、尋ねた。
「太陽が地平線の向こうに溶けていく。赤く燃えた炎はやがて夜の闇に捕らえられていく。おいでおいでと手招きしているようだね。だけど、あの向こうに辿り着く前に、また朝がきてしまうんだ。太陽はとても足が速いんだね」
 彼女が風景を感じることができるように、私は語り聞かせた。



 虹ノ鳥

 それは、砂漠を超え、荒れた岩肌ののぞく山岳地帯を超える際に起こった。
 食料は尽きかけ、既に日は沈んでいた。眠るわけにはいかなかった。
 先人の残した道がある。地図がある。方角は天の星々が示してくれる。
 あと数十キロも歩けば人里に出ることができる。北に、寂しく鎮座する、孤独な北極星が標だ。
 私は息をついて天を仰ぐ。今日は月が影となり、代わりに星たちがいつにもまして輝いて見えた。
「網ですくえば、億万長者になれるかもしれないね」
 静かな夜に、声がこだました。
「ん……?」
 そのとき、星の海の中で、一際輝く光があった。
「流れ星?」
 それにしては随分と鮮やかな色をしている。まるで通り雨のあとにできる虹を、ぎゅっと押し固めたかのような、七色の流星であった。
 光の帯は赤へ青へと色を変え、夜の帳を染めていく。空が一瞬にして、極彩色に包まれていく。
 行き場をなくした色素は、ゆらゆらとオーロラのように揺れては、溶けるようにして消えていった。
 その色の源である星は、私の頭上を飛び越え、小高い丘を超えたあたりへと吸い込まれていった。
 知らずと、足は動いていた。子どものころに戻ったかのように、胸の奥底が沸き起こる。
 ゴツゴツとした岩肌に足を取られながらも、なんとか丘を越える。その向こうには、巨大なクレーターのような谷間がある。
 辺り一面を、あらゆる色が無秩序に染めていた。子どもが考えなしに絵の具を塗りたくったようだ。
「色の墓場とでもいったところだね」
 岩肌に張り付いた色素は逃げ場をなくし、苦しそうに溶けていく。その源、谷の底は、虹色の霧に覆われていた。
 色素の海がくすぶるように揺れる。私を手招くように。
 未知なるものとの出会いに飢えていた私の足を動かすのに、それは十分すぎる光景だった。
 霧は私を拒むように、まとわりついた。構わず、かき分けるようにして、歩を進める。
 霧の奥から、すすり泣く声が聞こえた。
 とても悲しそうな声だった。なのに私は、彼女の声を美しいと思った。舞台の上で歓声の中歌うオペラ歌手よりも澄み渡り、国を渡ってその名声を轟かせる音楽家の楽曲さえ拙いと感じさせるほどの声に、ただただ聞き惚れた。
 谷底が見えてくる。そこには、人一人が入れるほどの小さな繭があった。極彩色の繭の中に彼女はいた。
 人の姿をしていた。生まれたままの姿でうずくまり、私の気配に気づくと、ぴくりと震えた。
 髪は腰まで垂れるほどに長い。色は、暴力的な色の輝きとは対照的な、淡い雲の色。
 そして、背には、羽があった。
 灰色の羽だ。
 とても飛ぶことができるとは考えられない、小さな可愛い羽。
 陽光を妨げる、人々から嫌われた色の羽だ。
 私はそれを、どんな宝石よりも鮮やかなものに錯覚した。
 あなたは鳥なの? 人とは違うの? 疑問は山のように浮かんだ。しかし、そんな問も忘れてしまうほどに、彼女に心を奪われていたのだ。絹のようになめらかで白い肌、すべてを吸い込んでしまいそうなほどに深い黒を抱いた瞳。
 はじめて、人を綺麗と思った。
 私は、ただ声もなく、震える彼女の背を抱いた。
 凍るほどに身体は冷えていたが、構うまい。
「大丈夫だよ。恐れなくていい」
 私の体温を十分に分け与えたあとで、
「君の名前はなんというんだい?」
 と聞いた。
「…………………」
 彼女が囁いた言葉は、私の知らない言葉だった。
 考えてみれば当然だ。よくある物語のように、突然現れた未知の存在に、いきなり言葉が通じるはずがない。
「そうかい……。大丈夫だよ。私が守るから……」
 そういって、私は彼女をずっと抱いていた。
 震えが止まり、やがてあたりから色がすべて消え去るまで。



 羽ノ話

 なぜ私は、見知らぬ女性と肩を並べているのだろう。
 鳥としての姿を失い、羽はしおれたように力が入らなかった。
 温かい羽毛も今はなく、覆いを失った空は熱を奪い取り、ただひたすらに寒かった。
 だから、彼女のぬくもりは、心にまで染みこむほどに感じられた。
 私は彼女が羽織っていたものをかけられ、手を引かれるままに谷を登り、岩の大地を歩いた。彼女は私に靴を履かせた。彼女は包帯で何重にも足元を巻いて、靴の代わりとしていた。それでも、足元に散らばる尖った石は、彼女の足を傷つけ、包帯には赤い色が滲んでいた。
 心配そうに見つめると、彼女は笑ってなにか言った。言葉はわからなかった。そもそも、言葉という概念を知らなかった。
 それでも、彼女が自分を指さして、しきりにある言葉を繰り返していることから、彼女の名がハンナであると理解した。
 そして、私の名はサラとなった。ハンナは、愛おしいものを見る目で、何度も私の名を呼んだ。その度に、不思議と胸の内が熱くなった。
 次に覚えた言葉は、愛しているというものだった。ハンナが寝床でしきりに呟いた言葉だった。
 私も同じように口ずさむと、彼女はとても嬉しそうに笑う。そして、私を抱いてすこしだけ涙ぐむのだった。

 旅は順風満帆とはかなかった。訪れる町、訪れる町で敵意の眼差しが何十も私達に向けられるのを見た。女二人の旅人、その一方は今の時代には珍しい眼鏡をかけ、もう一方はあろうことか背に羽を持つ。
 はじめは、麻痺した羽は痛覚を機能させなかったが、次第に外套(がいとう)が羽をこすれる度に激痛が走るようになった。背には、羽を出すための切れ目が入れられ、人々にとっては異形の羽はむき出しとなった。
 寝床は取れないだろう。人々の向ける冷たい視線に、なかば諦めかけていたが、不思議と宿に困ることはなかった。だけど、宿の主人と交渉するハンナの顔を見るのが、私は嫌だった。まるでウジ虫でも見るような目で、彼らを説き伏せるのだった。

 ハンナは本を沢山持っていた。
 美しい装飾のカバーは、たとえ内容がわからなくとも、見ているだけでも楽しいものだった。特に、ハンナがハードカバーの分厚い本を、片手で広げて読む姿が、好きだった。
「まだ、お前には早いだろう」
 と、彼女は笑ったが、私は比較的薄い本を貸してもらって、むさぼるように文字の海を追った。早く言葉を覚えたかった。それ以上に、ハンナが好きなものを、私も好きになりたかったのだ。
 言葉を覚える度に、ハンナへの想いは募っていった。それは、人々がさらに醜く見えることの裏返しだったのかもしれない。
「あの人達は、あんなにひどい言葉を言っていたんだね」
 町の人が、私やハンナにかける言葉のほとんどは、反駁するのもはばかるものだった。
「サラは、そんな言葉を覚えなくたっていいんだよ」
 ハンナだけが、優しい声をかけてくれる。それがたまらなくうれしくって……、だけどそれ以上に苦しかった。私は夜が来るごとに、彼女の胸の中で眠った。
「ハンナ……」
「なんだい?」
「私ね……、ずっとあなたと一緒にいたい」
「私もだよ」
「でも……、それはできないの」
 ハンナの身体が一瞬震えた。
「どうしてだい?」
「鳥の寿命は人よりも短いから」
「そうか。じゃあ、さらは私と一緒に最後まで旅ができるってことでもあるな。私だったら泣いて喜ぶところさ」
 今までに見せたことのない豪快な笑みだった。私がキョトンとして声を出せずにいると、「おやすみ」とさっさと眠ってしまった。
 私も心を落ち着かせるために目を閉じるが、なかなか眠りは訪れてくれなかった。
 しばらくすると、私の頭の上で、すすり泣く声が聞こえてきた。
「……きだ」
 うわ言のように小さな声だった。だけど、何度も呟く声は、耳をすませば確かに聞こえた。
「サラ……、好き……、好きだ……」
 何度もかすれた声で彼女は言った。
 私は、ハンナの背に回した手を強くする。優しく包む羽毛はないけれど、ハンナによれば、私の体温は人よりもすこしだけ温かいそうだから。

 ハンナは生きる術を知っていた。食べたらいけない草。食べても大丈夫なもの。木の実ができる木も全て知っていて、どこに行けば腹を満たすことができるのかを理解していた。時には、山うさぎや子鹿を鉄砲という武器で殺すこともあった。
 それでも、冬にはどうしても蓄えがなくなる。そういうときに、彼女は盗賊に加担することもあれば、あるいは商団を守る用心棒となった。「信用なんてカケラもないからね。ほとんどは悪いことのお手伝いさ」、とハンナは笑う。
 人々は私たちを魔女だ、悪魔の使いだとののしった。石を投げられることなんて数えることもできない。刃を向けて襲い来る奴もいた。そいつらは、ハンナの手によって命を絶たれた。
 彼らの言う正義を私たちは信じなかった。
 彼らの信じる神を私たちは信じなかった。
 信じて、誰かが助けにきてくれるというの?
 そんなことを言う奴がいたのなら、こう言い返してやる。
「このペテン師野郎」と。

 ハンナを好きになるのに時間はかからなかった。唇を重ねたこともあったし、肌を重ねたこともあった。深くつながる度に、彼女はとっても柔らかくて温かいと、いとおしそうに私の羽をなでた。
「サラは私の鳥なんだ。たとえ空を飛べなくても、私を遠くまで連れて行ってくれる」
 甘いささやきに、心のすべてが溶けてしまいそうだった。
「ねえ、ハンナはどうして旅をしているの?」
「さあね。もう忘れてしまったよ。あえていうのなら、旅のために旅をしている……、といったところか」
 彼女はどこか遠くを見るような、焦点の定まらない目をしていた。こことは違うところに彼女がいるような気がして、私はハンナを抱きしめる。
「痛いよ……、サラ」
「ハンナ……、どこにも行かないで……」
「ああ……、私はサラなしではいられないからね」
 優しい口づけが、その時はひどく切ない味に感じられた。


 ――サラに出会ってから、世界のすべてが色あせて見えるようになったんだ。
 ――君以外のすべてが、醜いものに……。
 歌うようにハンナは呟いた。



 母娘ノ話

 どこへと続くかわからないほどに長い丘を、一組の母娘が登っていく。丘は青い草の絨毯で覆われ、時折吹き抜ける風に、さみしげに揺れていた。
 母の目には涙があった。娘はその涙の意味を知らず、太陽と草の匂いを楽しんでいた。
「私の、愛しい子」
 母は娘を呼ぶ。娘に名前はなかった。
「なあに、お母さん」
 天使のような笑みが向けられる。
 また、涙の糸が、葉の上に降りてはじけた。
 丘の上に建つ小さな教会を見上げる。女は、娘を孤児として捨てにきたのである。

 ――それはありふれた物語だ。娘を産み、名を付ける前に夫を亡くした。女手ひとつでは稼ぎもままならない。女は身を売った。一時は人並みの生活を得ることもあった。しかし仮初の幸せは、すぐに崩壊する。たとえば、稼いだ金を狙う強盗に襲われ、どう対処するというのだろうか。かろうじて、娘の存在を隠し通し、それでも全てを失った彼女がどうやって娘を育てるというのだろうか。

 たった小説の一頁にも満たない、物語の断片である。
 女は涙を拭い、娘の額にキスをした。
「お前は幸せになるんだよ。お前には幸せになる権利があるのだから」
「お母さんは?」
 珠のような綺麗な瞳に見つめられ、また内からこみ上げるものがあった。悲しむ姿を見せてはならない。女は、娘の視線から逃れるように、丘のふもとに顔をそむけた。

 風が流れた。
 草花の囁きは、川のせせらぎに似ている。それは呼び鈴のように、鼓膜を優しく揺らした。
 ほら、そこにいるよと、見えない誰かに導かれるように、彼女の目はある一点で止まった。
 緑の海原に浮かぶように、二人の女が立っている。様相からして、旅人であろう。女二人の旅人からして珍しいものだが、それだけではない、背の低い方の旅人の背には、人ならざるものの証である、羽が生えていた。彫刻でしか見ないような、鳥人の羽は、力なく背に張り付いているようであった。それでも、目を見張る程の美しさに、
「綺麗な羽だね」
 と娘もため息をつくほどであった。
 旅人は、少女の手を引いて丘を登る。女は娘を捨てに来たことも忘れ、立ち尽くしていた。
「大丈夫かな……、あの子」
 娘は潤んだ目を、母に向ける。
「すごくつらそう」
 旅人は、母娘を目指して歩いてくる。その姿が近づくにつれ、娘の言っていた意味を知る。羽を持つ少女は、既に虫の息だった。顔は透けるように白く、それがなおさら彼女の美しさを強調しているようにも見えた。虚ろな目は、焦点を結んでいるのかどうかすらわからない。ただし、少女の顔は、僅かにだが笑みを浮かべていた。

「こんにちは」
 旅人は、微笑み挨拶した。感情のない笑みであった。まるで、すべてを諦めきったような目をしていた。
 黒い旅装に、黒い縁の眼鏡。髪は短めで、一目見ただけでは、少年と疑ってしまうだろう。
 女は娘の前に出る。娘を捨てる身とはいえ、それまでは母である。得体のしれない者に気を許すいわれはない。
「どなたですか」
 きっと睨む女に、しかし旅人に動じる様子はない。むしろ楽しそうに微笑み、
「旅をしているものです。ハンナと申します。こちらはサラ」
 羽を持つ少女が、小さな手を差し出す。女は触れるのをためらったが、恐れを知らぬ娘が、いつのまにか前に出てその手を取っていた。
「はじめまして、サラ。だけど、ごめんね。あたしには名乗る名前がないの」
「どうして?」
 消え入りそうな声でサラが尋ねる。
「どうして?」
 今まで疑問を抱くことのなかった娘は、母の顔を仰ぐ。
 女は答えることができなかった。とうに捨てることがわかっていた命……。なのに、こうして言葉を喋れるほど育つまで、手放すことができずにいた。My dear…… My dear……と、心に釘を刺す思いで呼びつづけてきたのだ。
「あなたがどのような目的でここに来たのか、私には興味はありません」旅人は、演劇の語り手よりも、淡々と、冷酷に言い放つ。「私は、旅の道づれを探しているのです」
 何を言っているのかと尋ねるような女の顔に、ハンナは微笑み言った。
「わかりやすくいいましょうか。魔女が、人さらいに来たのですよ」
 旅人の手が娘に触れる。娘はその手を拒まなかった。
「ねえ、ハンナさんはどんな所を旅してきたの?」
 今まで見せたことのない笑みを娘は見せた。それは青く光る草原の中、太陽のように光る、一輪のひまわりのようで……。女は声をかけることができなかった。
 鳥であり人である、サラの丸い瞳が、しばらく女を見つめていた。何を言うでもなく、何の感情を抱いているのでもなく、ただひたすらに、視線が向けられている。
 やがて、遠ざかる旅人の声に踵を返し、草原の丘に女だけが取り残された。
 草の葉が踊りざわめいた。陽光が葉に乗った雫を反射し煌いた。きらきらと、宝石のように……。

   * * *

 女の話は、これでおしまいである。それとも、君はまだ彼女について知りたいというのか。知りたくとも、語り手に語る意がなくて、どうして物語が息をするというのだ。
 そもそも、語る意味すらないのだ。丘を登れば、新たな稼ぎ口が見つかり、ささやかな幸せを得るかもしれない。疲労をためた足で、旅人を追えば、力なき女の末路だ……。この世にいくつもはびこる、語るに絶えぬ話を、物語として聞きたいのなら、己で作るがいい。私には語り飽きた。

 旅人の話に戻ろう。
 ハンナは、名も無き娘の手を取り、さらに北へと足を進める。サラがそれを望んだのだ。死ぬのなら、なるだけ故郷に近い所が良いと。
 新たに加わった小さな旅人は、小さな足を精一杯に動かし、ハンナの後をついてきた。母と離れることに未練はなかった。否、はじめから、彼女にとってあの女は母ではなかった。今は名を付け、呼んでくれる人がいる。
 ハンナは娘に、センリと名を付けた。
「とある東の果てでは、長い道をセンリと呼ぶんだそうだ。旅人としてピッタリの名前だと思わないかい」
 旅人は、娘を何度も呼んだ。まるで自らの名でもあるかのように。
 サラはセンリを呼ぶことはなかった。声を出すことすらできぬほどに、満身創痍だったのだ。サラの声は空気の揺れにしか感じられない。それでも、センリは何度もセンリに話しかけた。
「サラ……、サラはどこからきたの?」尋ねると、彼女は北極星のある方向を指さした。
「サラはどうして鳥なの?」彼女はふるふると首を振った。
「そうだよね。私もどうして人間なのかわからない」
 太陽のようなセンリの笑みは、サラの顔にも微笑みを写した。音にならない言葉を、サラは口を動かして伝えようとする。
「なんて言ったの?」
「ありがとう、といっているんだよ」
 ハンナが唇の動きから読み取った言葉を教える。センリは、何を感謝されたのかわからないまま、「どういたしまして」と返した。

 三人の旅路は、両手で日数を数えても余るほどに、短いものだった。
 星が綺麗な夜の事だった。
 羽を持つ少女は、眠りについたまま起きることはなかった。
 日が開けると、力尽きた鳥が、一羽横たわっていた。
 ハンナは、鳥の額にそっと口づけをした。地面にいく敵もの小さな染みができた。
「死んじゃったの?」
 センリの問いかけに、旅人は小さく微笑んで答える。
「ああ、そうだよ。鳥の命は、人より短いんだ」
 その分、幸せの濃度も濃いはず。だから私達には、彼女が幸せだったと信じるしかないんだ、とハンナは言った。
「ねえ、ハンナ……」
「どうしたんだい」
「どうして、命がなくなると、涙が出てくるの?」
「心が正常に働いているからだよ」
 そういって、旅人は小さな身体を抱きしめる。溢れ出る涙を、自分の中に溶かすように……。



 旅ノ目的

――センリ、彼女の羽は何色に見える?
――綺麗な虹色よ。
――そうかい……。私にはとても、綺麗な灰色に見える。

 世界のすべてが色あせて見えた。あの日、虹の鳥に出会ってからだ。
 同時に、ハンナは旅の目的を見失ってしまった。世界の美しさを知り、さらに素晴らしい世界が有ると信じ旅を続けてきた。
 しかし、世界のすべてを集めてもかなうまい煌めきを目にしてしまった。かつてエイミーと旅をした目的は逸してしまった。
 故に彼女は道づれを欲した。自分をこの世に繋ぎ止めるための鎖を。それがサラであった。そして今は、傍にいる小さな旅人。
 歩く道は白い雪に覆われていた。吐く息は白く冷たい。白の世界は鏡のように太陽の光を反射している。その輝きに、センリの目も歓喜の色に湧き、あちらこちらを走り回っては足あとをつけて、「すごい、すごい!」と、はしゃいでいた。
 ハンナは微笑み、手のひらの上にのせた鳥に話しかける。
「もうすぐ君の故郷だよ」
 北に行くに連れ、夜の空に一際明るい流れ星が駆けることがあった。どんな色をしていた? と、真っ白な星の色を尋ねると、センリは虹をひとつにぎゅっと押し込めたような色と言った。
 鳥は今も生まれ、そして死んでいく。彼女らに帰る場所はあるのだろうか。
 とんがり帽子のような屋根の連なりが近づいてくるのを見ながら、ふと思う。では、己の帰る場所はあるのだろうか、と。センリの帰る場所は?
「ねえ、ハンナ。あの町の次はどこに行こうか?」
「センリはどこに行きたい?」
「私はまだいいの。ハンナより若いから、その分たくさんのところにいけるでしょう。でも、ハンナは、私よりもいける場所が少ないの。だから……、ハンナが決めて」
 短い旅の中で、センリは様々なことを学んでいく。命の長さ、生き残るすべ。人々の愚かさ、残酷さ……、あるいは優しさ。彼女は、ハンナの持つ本を好んで読み漁った。それが、最愛の人からの贈り物だ、とでもいうように目を輝かして。
「センリは、私が年増とでも言いたいのかな」
 すると、センリは顔を真っ赤に染めて首を振る。
「違うよ。そんなんじゃなくて」
「ふふ、わかってるよ」
 ハンナは少女の頭を撫でてやる。
「ただ、あいにく、私は行きたいところのほとんどを廻ってしまったんだ」
「行きたい場所がなくなったら旅は終わるの?」
 ハンナは答えに窮する。心の底では、それは否であると叫んでいるのに。
「そうだね……。だから、目的を作るんだよ。私は卑怯者かもしれないね。君と旅すること、そのものを目的にしようとしているんだ」
「でも、それはハンナが旅をしたいってことでしょ」
 そうだ。未だ旅を諦めようと、故郷に戻ろうと考えたことは一度もなかった。それは原始的欲求からから、あるいは体質か……。その答えはセンリがくれた。
「わかったわ。じゃあ、エイミーはどこに旅がしたいの?」
 センリの心に、頭の奥底を殴られた心地になる。
「ハンナは、エイミーと一緒に旅をしているのでしょう」
「そうだよ……。だから、私が旅をやめた時、いや、諦めた時にエイミーの旅も終わるんだ」
「違うわ……。あたしが、旅を引き継げば、旅は続くのでしょう」
「そうか……。それは、心強いね」
 ハンナは心の中で語りかける。エイミー、君はどこに行きたかったんだい? と。
 思えば自分の行きたいところばかりを旅した。エイミーがそれを望んだのだ。好きな人の見たい景色を見たい。そう言って、今にも倒れそうなほど疲弊しているにも関わらず、精一杯の笑みを浮かべたのだ。
 色あせた空を見上げる。雲ひとつないのに、空は灰色。太陽の光は、力なく、初めて見る町に抱く感動もなかった。
 新たな地を訪れる度に、ハンナとエイミーは歓声をあげた。ここにエイミーがいたのならば、あの針のような屋根は、雪が自然に落ちるようにするためねと考察するだろう。祭で色とりどりの衣装を着て踊る子どもたちを見て、自然を神様として祀っているのね、と嬉々として語ったことだろう。
「私には、エイミーがかつて見た世界が見えない。色あせたものにしか見えないんだ」
 それは……、虹の鳥に恋した呪いなのだろうか。
「だったら、あたしの目を片方あげるわ」
 なんでもないことのように言って、センリは自分の目に手をそえる。
 慌ててハンナがその手を制した。
「どうして止めるの」
「その必要がないからだよ」
 ハンナはそう言って優しい目を向ける。センリは、そんな彼女の深い青の瞳が好きだった。
「そうだね。世界が美しいと教えてくれたのはハンナなんだから。ほら見て、とんがり帽子がいっぱい。妖精たちが踊っているよ」
 くるくると、楽しそうに白と黒の踊り子が交わる。時折、そこに炎のような赤が、海のようなコバルトブルーが浮かんでは消えた。
「センリはエイミーの幼い頃に似ている」
「浮気してもいいのよ」
「悪くない提案だけど、エイミーに怒られてしまうね」
 二人は、ひさししぶりに爽快な笑みを浮かべた。
「ねえ、ハンナ。次はどこにいく?」
「そうだね。あの鳥の飛んでいったほうに行こうか」
 鳥が色を運ぶのならば、かつての世界の輝きを取り戻す術を知っているかもしれない。
「それまでは、あたしがハンナの目になるわ」
 その後は、さて、どうしようか。


旅ノ挿話

「珍しいね。親子の旅人とは。お譲ちゃん、足は大丈夫かい?」
「あはは、親子だって。それじゃあ、ハンナはおばあさんだね」
「今日の宿は星の下にしようか」
「ごめんなさい。それだけはご勘弁を……」
「はっは! 仲良きことは、良きことかな。……とと、親子の語らいを邪魔しちゃ野暮ってもんかい」
「期待に添えないようで申し訳ありませんが、あいにく、この子は私の子どもではありませんよ。さらってきた子を、実子といっていいのなら別ですが」
「そうなの。あたしさらわれたの」
「そうか、そうか、そいつぁ愉快なこったぁ!」
「ところで、道をお尋ねしたいのですが」
「おうおう、どんとこい。そうさなぁ、報酬としては――」
「あら、この人がめつい人みたいよ。他の人をあたりましょう」
「おいおい! そいつぁないぜ。なあに、旅の話をちょこっと聞かせてくれればそれでいいんだ。その腰の小さな絵のいきさつとかさ」
「これですか。これは、北に300マイル程離れた町のとある画家に描いてもらったもので――」
「違う違う! その絵の中身について興味があるのさ」
「これですか……。ふふ、とても綺麗な鳥でしょう?」
「ああ、とっても綺麗な羽をしているね」
「とても、綺麗な虹の羽でしょう?」
「ああ、とても綺麗な虹色だねぇ」
「満足していただけましたか?」
「ええと……、だな。それで、その鳥とは一体――」
「ねえ、ハンナ。このおじさん、気持ち悪いから、さっさと地図ひったくって、ついでに有り金全部もらって逃げましょう」
「だめだよ、センリ。本音は隠してこそ意味を持つんだから」
「かっはっは……。取り付く島がないとはこのことだねぇ。……はて、ここから一番近い町は――」




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樹

似非店員:樹
百合と眼鏡が好きな人です。
日本語、和風なものも大好物。
掲載しているものは、主に百合もの、ファンタジー小説となっております。
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