ARIA SS アイの灯(後編)

01 30, 2011 | Posted in ARIA | Thema 小説・文学 » 二次創作

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「アイの灯」(前編)の続きとなります。
先にそちらをご覧になってからお読みください。



~アイの灯(後編)~

【喫茶店】
「どうしてここに灯里さんがいるんですか」
「私はずっとここにいたよ。アイちゃんが来るのを待ってたの」
 何事もなかったかのように、灯里さんは言った。
「ここはどこなんでしょうか?」
「喫茶店だよ。見ての通り」
 懐古的(レトロ)な雰囲気漂う店内は、カウンター前に二つある高さの違う席を除き、卓子も、椅子も存在しない。あまりにも不完全な喫茶店だった。
「アリア社長見ませんでしたか。突然逃げてしまって、追いかけてきたんですけど」
「にゅ」
 後ろから鳴き声が聞こえた。振り向くと足元で、一匹の猫が私を見上げていた。真っ白な体毛、青い瞳、太った体躯。見まがうはずもない。ここにいるのはアリア社長……。
「アリア社長は、暑さで来れなかったはずですよね」
「ここは風が通って過ごしやすいでしょう。だから、涼みにきたんだよ。猫は涼しい場所を見つけるのが得意だからね」
 灯里さんは、微笑みながら、魔法瓶の中身を硝子のコップに注いだ。数個の氷が浮かび、純白の、いかにも美味しそうな飲み物が並々と満たされる。
 喉はからから。今にも誘惑に負け、飛びついてストローの口を奪いたいと思うほどだった。
「はい、アリア社長。アイスミルクですよ」
「ぷいにゅー」
 アリア社長が歓声をあげ、高い方の椅子に飛び乗った。高さに違いがあるのは、猫用の椅子だったからか、と私は納得した。
「アイちゃんもどう」
「あ、いただきます」
 あまりにも平然とした会話。私は席についた。吸い込まれるように足は勝手に動いた。
 あらゆる不自然。それが、どうでもいいことのように思えた。

 アイスミルクを一口。喉の奥にまで染み渡る感覚。身体の中までこびりついた熱が、洗い清められていくよう。
 一息に全部飲み干してしまった。なんだか頭がぼんやりとする。冷たい飲み物を飲んだら、頭がはっきりするはずなのに。
 喫茶店の中は静かだった。夜光鈴の鈴の音だけが、小刻みに揺れ、チリンチリンと心地よい音を奏でていた。
 窓の隙間からだろうか、吹き込む風に揺られて鳴いて。
 心の芯まで届いて、震わせて。
 暑さは和らぐ。いつまでもここにいたくなる。いつまでも、いつまでも……
「いてもいいんだよ。ここは涼しいでしょう。だから、いつまでも、いつまでも」
「はい……」
 目の前には憧れの、そして大好きな灯里さん。すぐ隣には、つい抱きしめてしまいたくなるほどに愛らしいアリア社長。
 いつか一人前になったら、この愛おしい空間に、いつまでも浸れなくなってしまうかもしれない。
 なら、ずっとここで、アイスミルクを飲んで談笑して……。
「そう、ずっと一緒だよ。アイちゃん」
 心をそのまま撫でられるような、優しい声。私が望んでいたこと。灯里さんも思っていてくれたんだね。
 私は幸せだった。
 幸せに飲まれていた。
 静かに閑かに、時間は過ぎる。それはあまりにもゆっくりで、永遠のようにさえ感じられる。
「灯里さん。……私のこと、好きですか」
 夢現なままに私は尋ねる。自然と言葉が出てきた。まるで予め訊くのが、決められていたように。
「うん。大好きだよ。この世で一番」
 朗らかな笑みで灯里さんは答えた。
「初めて会った時から、アイちゃんのことが頭から離れなかった。お友達として、未熟なのにも関わらず舟に乗ってもらったとき、年越しのお祭りに来てくれた時、レデン・トーレのお祭りに来てくれた時……。一つ一つが大切な思い出」
「カーニバルの時も、一緒にカサ・ノヴァを見つけましたよね。あれが猫妖精だったのには驚いたなぁ」
 と、私が言ったとき、灯里さんは一瞬なんのことか分からないとでもいうように、きょとんとした顔をした。
「えっ。ああ、そうだったよね」
 あれっ? 猫妖精のことは、灯里さんにとって大事なこと。それなのに、なんでそこだけ忘れていたんだろう。
「会えない日が寂しかった。だから、こうして一緒にいれることが叶って、私は嬉しいの」
 灯里さんの言葉は魔法のように、私の心を震わせる。何もかもがどうでも良くなってしまうような魔法。
 疑念は掻き消える。
 頭がぼうっとする。
 灯里さんが目の前にいる。それだけでいいじゃないかと、もう一人の自分が語りかける。
 でも、もし目の前の灯里さんが……。
「アイちゃん」
 灯里さんは顔を近づけ私を見つめる。私はふいにはずかしくなり、顔をそむけようとする。だけど、灯里さんは両手で私の頬を包み込み、それを許さない。
 ゆっくりと、ゆっくりと顔が近くなる。
 うっとりと細められたまなざしがすぐ鼻先に。
 涼しい。涼しすぎるくらい。違う、薄ら寒いんだ。
 アリア社長は黙々と、ミルクを味わっていた。こちらには興味がないように。
 心臓が高鳴る。、ドクンドクンと鼓動する。踊り、狂うように。
 魅入られそうになる。
 だけど、
 何かが違う。
 頭の中で警鐘が鳴り響く。
「あ、灯里さん!」
「なあに? アイちゃん」
 違う。
 何が違う?
 探すんだ。
 私は灯里さんの顔に、胸に、視線を走らす。
 灯里さんは、にっこりと笑い、また顔を近づける。唇と唇が触れ合うまで数センチ。
 そして、見つけた。
 気づいた。
「灯里さん」
 私は金縛りから解けたように、灯里さんを押し戻す。
 そして、訊いた。
「胸のペンダントは、どうしたんですか?」
 風が凪ぐ。
 静寂があたりを包む。
 灯里さん……違う、この人は灯里さんではない。遥かなる蒼の、手袋なし水先案内人なら、こんな場所で一緒になんて、言うはずがない。
 じゃあ、この人は誰?
 隣にいるアリア社長は?
「え、何を言ってるの。私は――」
 動揺する彼女を押しのける。
 私は夢から覚めていた。だけども、夢の中。頭は正常に戻っても、まだこの現の幻の檻に閉じ込められたまま。そして、これはおそらく、灯里さんの話にあった、逃げ水。蜃気楼の喫茶店の再現。
「やれやれ、とんだ小娘だ。素直に受け入れればよかったものを」
 と、アリア社長、いや、アリア社長の姿をした誰かが喋った。野太い男の声。目の色は黄色と淡青色のオッドアイ。円盤のような瞳ではなく、普通の猫の目。
 カウンターの向こうの灯里さんの姿をした彼女も、同じ瞳の色をしていた。
「アイちゃんは望んでいたんでしょう」と彼女がいった。「だから願いを叶えてあげたの」
 私は席を飛び降りた。反射的に。心臓を凍った手でなでられたように震え、一心不乱に。
 喫茶店から抜け出すべく、入口のドアノブに手をかける。まわす。
「なんで……」
 開かなかった。びくともしない。何度も、押しては引いて、壊れるんじゃないかというくらいに乱暴に開けようとする。
「無駄だよ」灯里さんの声が言った。
「猫妖精がいなくなって助かったよ」と男の声。「おかげで自由に食事をすることができるのだからね」
「あとは、あの灯里って娘が邪魔だからね。まずはあなたを足がかりにして、次はあの娘だ。久しぶりのご馳走となろうよ」
 灯里さんが普段出さないような低い声。すぐにおどけたような表情を見せ、「あ、灯里は私だったね。アイちゃん」と大きく顔を歪ませ笑った。
「あはははははははははははははは」
「ふひひひひひひひひひひひひひひ」
 不気味な高笑い。ピエロのような表情で、静寂を壊し、嘲った。
「せっかくあなたの願いを叶えてあげようと思ったのに」
「どうして拒むのかね」
「あなたの代わりに、あの娘に近づいてね。何でもできたはずよ」
「やめて」
 二つの声に私は首を振る。
「大丈夫だ。逃げ出すことなんてできないのだから」
「あの猫妖精でもいれば別だけどね」
 二つの声が近づく。
 顔を上げると、既に原型を留めてない二匹のオッドアイの猫。ただの猫じゃない。天井まで届こうかという高さで立って歩く……
「助けを求めてみるかい」
「大きな声で叫んでみるかい」
「無駄だ」
「無駄だ」
「「お前は私たちが喰らうのだから」」
『化け猫』。おそらくはその類。だけど、あれは日本の妖怪じゃ。いや、今はそんなことを考える暇はない。ここから逃げ出す手段を考えなければ。
 でも、ドアは開かない。
 窓は鍵がついてない。
 バールのようなものも。そもそも私に壊すほどの力なんて無い。
 万事休す。
 絶体絶命。
 じりじりと二匹は近づく。
 二色の色の目が輝き、
 大きく水平にまで口を開けて。
 まるで私が恐れるのを楽しむように近づく。
「灯里さん……助けて」
 猫妖精はもういないと彼らは言った。
 私に頼れるのは、もう、彼女だけだった。
 儚い、ほんのわずかに残る希望。
「助けて!」
 私は叫んだ。ネオ・ヴェネツィア中まで轟かせるつもりで、あらん限りの大声を張り上げた。
 化け猫は一瞬ひるんだ。しかし、また大きな口を開き、こちらへと迫る。
 私は目を閉じた。
 ――アイちゃん。
 幻聴だろうか。こんなときに、灯里さんの声が聞こえる。
 ――扉から離れて。
「え?」
 目を見開く。眼前には嘘のような危機的状況。わけも分からず、私は背にしていた扉から位置をずらした。化け猫たちには、逃げてるように映ったのか、気にする様子はなかった。
 だが、次の瞬間。彼らの顔には、驚愕の表情が浮かんだ。
 口は閉ざされていた。警戒するように扉に視線が注がれる。
「「なぜ、お前が……」」
 ぎぃぃ、ときしむ音をたてて。扉が開いた。
 そして、来るはずのない新たな客が、足を踏み入れる。
 私は崩れ落ちた。何かの呪縛から解放されたように、力が抜けた。
「遅いよ」
「ごめんね、アイちゃん」
 そこにいたのは、灯里さんだった。
 胸に輝く蒼の石。鮮やかに青い光を放つ、太陽にすら劣らぬ輝き。それは、灯里さんであることの証明。
 灯里さんは私を見て、軽く笑んだ。
「もう、大丈夫だよ」
 優しく言う灯里さんに、一瞬かの猫妖精の姿が重なったように見えた。


【猫妖精】
 灯里さんが現れてから、化け猫たちは眩しそうに手をかざしている。彼らが灯里さんのペンダントを恐れているのは明らかだった。
「やめろ」
「やめてくれ」
「助けて」
「いやだ、怖いよ」
 先に感じた恐ろしさの残滓すら感じられないほどに、彼らは狼狽した。
 天井まであった身長が、いまや私の身長くらいまで縮んでいた。
 灯里さんは一歩一歩、確かめるように、彼らに近づいていく。
 すると、それについてくる者たちがいた。
「お願い。この子たちに返してあげて。ここはあなたの居ていい場所じゃないの」
 店に入ってきたのは、猫だった。
 それも一匹じゃない。
 にゃあにゃあと大合唱が店内にこだまする。
 数え切れないほどの猫が、波が押し寄せるかのように、店内になだれ込んだ。
「ぷいにゅ」
 殿(しんがり)は、アリア社長だった。
「お疲れ様です、アリア社長」
 灯里さんはアリア社長の頭をなでると、優しいまなざしのまま、化け猫らを向く。
 もはや他の猫と変わらぬ程に小さくなった彼らを、猫の大群が囲んでいた。
 灯里さんは猫たちが開けた道を、音もたてずにゆっくりと歩いた。
「さあ、もう帰る時間だよ」
 彼らの頭をなでようとする。二匹の子猫は怖がるようにそれを避けた。
「やめて。私たちはただここにいたいだけなの」
「許してくれ。もうこの子たちを襲ったりはしないいから」
 化け猫たちは、すすり泣きながら言った。
「にゅ。ぷいにゅ~」
 二匹の猫に、アリア社長が語りかけるように言った。灯里さんは蒼の石に手を添えると。いつくしむような面持ちで、アリア社長の言葉を代弁する。
「猫妖精さんが、あなた方を帰さないといけないと、言ってるの」
 彼らはその言葉を聞いた途端、牙をむき出しにして毛を逆立たせた。
「三度、私たちの居場所を奪うつもりか」
「なぜ我らがここにいてはいけないのだ。お前が我らを追い出したのがそもそもの始まりだった」
 昔語りだろうか。彼らの口調は、威嚇のそれではない。むしろ、深い絶望が滲み出すような。そんな、嘆きともとれる声。
「かつて私たちは、ここより遥かに遠くの小島で生まれた」
「我らの親は、人間に捨てられた。そこは草木も生えず、動物も一切いない廃墟だった。仲間達は死んでいった。そして残ったのは我らだけだった。こうして化けて、わずかに訪れる人間どもを喰らってな」
「掃き溜めのような地をさらに汚そうとする人間の船に乗って私たちは、この地へ来た」
「だが彼奴(きゃつ)は私たちをかの地へと追いやった。人間どもを、その生きた肉を喰らうことしかできぬ我らを、」
「あの地獄へとな」
「憎い」
「ただ憎かった」
「ゆえに、こうして舞い戻った。我らの食を邪魔するな」
 灯里さんは、静かに彼らが語るのを静かに聴いていた。
 たとえ化け猫であっても、たとえ人を喰らっても、それは生きようとする本能ゆえ。それを排除するのは人間のエゴだろうか。罪なのだろうか。
 違う。どちらにも罪は無い。ただ、生きようとしただけ。必死に。そうただ、ひたむきに。利害の一致はありえない。だからそこに犠牲が生じる。他方に悲劇が生まれる。
 ただ、愚かだっただけ。
 彼らの話は、私も聞いたことがある。たしか、ここネオ・ヴェネツィアの、丁度火星の裏側にある島。
 かつて、火星を地球化(テラフォーミング)するにあたり、その廃材を捨てるために使われた地。火星の負の遺産。
「だけど」
 私は言った。
「今は、その島を昔のような姿に戻そうと、活動がはじめられたはず」
 開発が終了するとともに、島への廃棄は禁止され、数十年たった今、ようやく浄化政策がはじまった。彼らが憎むいわれは、もはやないはずなのに。
 静寂が降りた。彼らはしばらく吟味するように私を眺めた。
 そして、嘲笑した。狂うように高らかに笑った。
「あはははははっは……は……」
「ふひひひひひ……ひ……」
 凄惨な、鼓膜を破るような叫びは、徐々にかすれていく。
「…………かな……しいの?」
 彼らは嘲笑うとともに泣いていた。嘲りは、嘆きに代わり、店内にこだまのように響き渡る。
「アイちゃん。もう駄目なの」
 哀れみの表情を浮かべ、灯里さんが言った。二匹の化け猫は、大粒の涙を零し、床に伏していた。灯里さんは、彼らのもとでかがみ、そっと二匹の小さな猫をなでた。
「ごめんね。お前さんたちの苦しみをわかってあげられなくて。お前さんたちを救うことはもうできないの。猫妖精の力でも、もう……」
 灯里さんに、猫妖精の影が重なっているような気がした。まるで、かの妖精を代弁するかのように灯里さんは話していた。
「苦しかったでしょう。憎かったでしょう。でも、それもおしまい。こんなことでしか、お前さんたちを楽にしてあげることはできないけれど」
 化け猫たちは、すすり泣いていた。灯里さんは、蒼の石を手に取る。「ごめんなさい」、と呟く。一粒の涙が滴った。その雫は石に触れ、石は淡い光を灯した。
 二匹の猫の表情は和らいでいった。涙の海は広がり、彼らのすすり泣く声はやがて小さくなる。
「さ、お行き。ゆっくりとお休みなさい」
 灯里さんが彼らの頭にそっと触れる。
 化け猫だった二匹の猫。
 静かに、眠るように、目を閉じて崩れた。
 蒼の石は、彼らを悼むように微かに光り続けていた。 
「浄化政策が始まったのは、彼らがくるほんの少し前」
 灯里さんは独り言のように語った。
「それまでは廃棄は禁止されていたけど、心無い一部の企業が、まだ不法に続けていたの。それが彼らの負の感情を高めて……私たちがいけなかったの。この子たちに罪なんてなかったの」
 私は、何を言っていいかわからなかった。
 ただ、「灯里さん……」と呟くことしか……。
 その声を聴いた途端、灯里さんから猫妖精の気配が消えた。青い光も、役目を終えたというかのように、ゆっくりとその輝きを失っていった。
 灯里さんはこちらを向く。夢から覚めたように、「アイちゃん……」と呟いた。
「灯里さん!」
 あふれる感情を抑えきれず、私は灯里さんの胸に飛び込んだ。彼女は優しく私を包んだ。
「ほんとに、ほんとに無事でよかった」
 灯里さんが泣いているのが分かった。
 私もまた、大粒の涙を零した。
 服が濡れちゃう、と心配しそうなほどに。
「怖かった。灯里さんが来てくれなかったら……私……」
 灯里さんの温もりを感じ、現の幻から覚め、胸に津波のように押し寄せる想い。それは死の淵にいたという恐ろしさ、そして化け猫たちの最期に対する悲しみ。
 心が支えきれないと危ぶんでしまうほどに、とめどなくもれ出る。
 何がなんだか分からない。
 大量の水が滝のように零れて、床を濡らした。
「遅くなってごめんね。私がもっとしっかりしていれば」
「灯里さんのせいじゃ……ないですよ」
 二人で涙ぐみながら、しばらくそうしていた。
「ぷいにゅ」
 アリア社長の声がした。
 もう、夢から覚める時間だ。悪夢はもう、終わったのだから。
 私たちは顔を上げ、見つめ合った。
「帰ろう」
「はい」
 私は頷いた。
 最後に、灯里さんは思い出したように振りかえり、かがむと、囁くように猫たちに何か言った。最後に「よろしくお願いね」と告げた。
 化け猫たちのことかな、と私は思った。
 私たちは、深く深く頭を下げる。きっと、彼らがいなければ、灯里さんは喫茶店にたどり着くことができなかっただろう。もしかしたら今頃、私は……。
 考えるのはよそう。今は、あの優しく暖かい空間に戻ることだけを考えよう。
 ここは、私にはすこし涼しすぎる。
 灯里さんと手をつなぎ、踵を返す。
 私は「じゃあね」と手を振った。
 夜光鈴が優しげな音をたてた。
 喫茶店を後にするまで、鈴は風に揺れ、チリンチリンと鳴っていた。猫たちの別れを告げる声とともに、私たちを見送ってくれているのかもしれない。
 

【夢から覚めて】
 時は宵の口。日は傾き、大きな舞台照明のように街を赤く染めていた。
 まだ歩けば汗をかきそうなくらいに暑かった。真昼の熱気の残滓が、まだくすぶっている。それだけ喫茶店が涼しかったことに思い至る。
 ――にゃぁ。
 猫が鳴いたような気がした。 
 私は一度振り返ってみる。
 そこに喫茶店は無かった。
 寂れた廃屋が、寂しそうに私たちを見下ろしていた。
「またいってみたい?」
 灯里さんが尋ねた。
「最初から一緒に連れて行ってくれるなら」
 私がからかうように言うと、彼女は淡い笑みを浮かべた。そして、「おかえりなさい」と呟いた。帰途についた今だから言える言葉。
 夢から覚める最後の二つのおまじない。
「ただいま、灯里さん」
 二人並んで、淡い笑みを浮かべた。
 恐ろしい夏のひと時。記憶の淵にまで残ることだろう。いや、忘れてはいけないんだ。あの化け猫たちのこと、そしてかの島のこと。私たちが背負わなければいけない。伝えていかなければいけない。二度とこのようなことが起きないために。
 そう心に決めた。
「あ、そうだ。夜光鈴、買えなかった」
 私は立ち止まった。もう夜光鈴市は閉まってる頃。しかも考えてみれば、今日は市が開かれる最終日。灯里さんが休みを取れたのが今日しかなかったのだ。
 慌てふためく私をみて。灯里さんは、「大丈夫だよ」と明るく笑った。
 と、広場のほうから「おーい」と呼ぶ声が聞こえた。駆け寄ってくる一つの影。そしてその向こうには、歩いてくる二人の水先案内人。
「心配させるなー!」
 暴走娘の秋葉ちゃんの突進をくらう。なんとかもろ手に抱え、「ただいま」と私は微笑んだ。
「本当に、心配したんだから。このバカ!」
「うん、ごめん」
 彼女は泣いていた。いつもの元気な姿からは想像できないほどに顔をしかめて。
 あとから来た二人も、双の眼に涙を浮かべていた。
「おかえりなさい」
 とアニタちゃんが、はっきりと聞こえる声で言った。
「わ、私は帰ってくるって分かってたけど」
「藍華ちゃん泣いてるよ」
「な、泣いてなんて」
 と、先輩水先案内人は相変わらず。
 戻ってきたんだ。そして、私はこんなにも心配されてる。
 心の奥からこみ上げてくる感情はとめどなく、私ももらい泣きしてしまった。
「そうだ、アニタ」
 秋葉ちゃんが、ふと思いついたようにアニタちゃんに言った。
「うん」
 彼女は、後ろ手に隠し持っていたそれを見せる。
「あ……それって」
 暗くなった空に反応して、淡く光る涙の粒のような石。私の名前の色をした。藍色の石……。
「夜光鈴。私たちが選んで買っておいたの」
 秋葉ちゃんは、子供が自慢するように、にっこりと笑んだ。
 アニタちゃんから受け取る。ためしに揺らして鳴らしてみた。小さく歌うように鈴は鳴いた。眼を細め何度も鳴らす。嬉しくて嬉しくてしょうがなかったのだ。
 その夜光鈴は、あの白昼夢の中で私が買い求めたものだった。
 心ってこうやって繋がってるのかな、と思った。
 私は二人に感謝を言う。涙もろくなって、また泣いてしまいそう。
「なあにもったいぶってんのよ」
 ふと藍華さんが、二人の背をバンと叩いた。秋葉ちゃんとアニタちゃんは、恥ずかしそうに隠し持っていたそれを見せる。
「あ、おそろいだ」
 二人が取り出したものは淡く光る夜光鈴。私のと変わらない形で色違いのものだった。
「なんだかこれ見た瞬間に、アイの姿が見えたような気がしたの。それで、アイがこれくださいって言ってるのが、ってこういうと運命の絆みたい……って、かー! なに恥ずかしいこと言ってんだ、あたし」
「私も見た。きっと戻ってくるって信じて、買ったの」
 本当に好対照。秋葉ちゃんが大げさに言って笑い、アニタちゃんが恥ずかしげにうつむいて、すこし涙ぐみ。
 その奇跡が自然のことのような気がしてくる。知らず知らずの間に夢の中で、私は二人に向けて頼んでいたのかもしれない。「これください」、と。
 何を言っても、この気持を表すことができないだろう。だから、胸にあふれる幾多もの想いを詰め込んで私は言った。
「ありがとう」


【再生】
 こうして夏の白昼夢を巡るお話は、ひとまず幕を閉じた。
 彼女らに別れを告げ、私は灯里さんとアリア社長と共に帰途についた。
 夕陽に赤く照らされたARIAカンパニーが見えてきたとき、私は異変に気づく。社へと繋がる橋の入口に、喫茶店で会った猫たちが十匹ほど待っていたのだ。
 彼らは二匹の猫を連れていた。動かない、化け猫だった猫を。
「ありがとう。あとは私たちにまかせて」
 灯里さんは私に向き直り、
「今日はゆっくりと休みもう。そして、明日この子たちを葬ってあげないと」
「はい」
 まだ物語は終わってない。

     *

 翌日、夜も明けない早朝。寝ぼけ眼のままの出発となった。さすがに二人で火星の裏側まで行くのは無理がある。そこで、風追配達人のウッディーさんこと綾小路宇土51世さんに、島までの同行をお願いした。アリア社長はウッディーさんに重量オーバーの宣告を受けお留守番となった。
 私が彼の背に乗り、灯里さんは借り物のエアバイクを操縦した。たしか免許は取り立てで、まだ一回も運転したことないと言っていたけど、大丈夫かしら。
 しばしの空の旅。近年エアバイクの性能も向上し、半日もあれば、火星を一周することなど訳無い。
 危うい運転をする灯里さんにハラハラしながらも、私たちは目的の島にたどり着いた。
 舟を空中で停止させる。
「こんなところになんの用事かあるのだ?」
「この子達の故郷なの」
 ウッディーさんの問いに灯里さんが言った。彼は「うむ」と頷き、
「しかし、このような場所で生まれたとは、いやはや。いや、皆まで言わなくてもいいのだ。用が済んだら知らせるのだ」
「はい、ありがとうございます、ウッディーさん」
 私と灯里さんは背負い鞄を担ぎ、島に降り立った。空から見ていたときにも感じたが、近くから見ると、改めてその異様な雰囲気に戦慄(せんりつ)する。
 既に廃棄は行われていない。だが、猛烈に漂う鼻を突き刺すような匂いが、名も無き島を暗く彩るような気がした。まだ空は暗い。あたりをただよう黒い靄(もや)が、島をなおさら不気味なものと感じさせる。
 見捨てられ、汚され、忘れられた地。
 島の中心部。黒い山のように見えるのは、廃棄物の塊。まるで黒い巨大な生き物のよう。冷たい視線で射られているような気がした。
 中心部は、もちろん立ち入りは禁止されている。私の身長の十倍はあろうかという鉄柵が、山を檻のように囲っていた。
 私たちはその柵の周りを一周してみた。草木は生えておらず、生き物など生きているはずもない。こんな場所に、捨てられたなんて、考えただけでも恐ろしい。でも、あの子たちはここで生きていたのだ。苦しみながら、憎みながら、闘って、死んで、そして生まれた。本来の理を歪められた彼らが生まれてしまった。
「やっぱり、違う場所に埋めてあげましょうか」
 私は灯里さんに提案した。こんな場所に埋めるなんて、あまりにもかわいそうで……。
「もうちょっと周ってみましょう」
 島は三十分もあれば周れるほどの大きさだと聴いていた。ちょうど半周ほど歩いたころだろうか。そこは大きな岬となっていた。
「あ……」
 私は声を失った。
 今まで歩いてきたむき出しの地面。それがあるところを境に、緑色の絨毯が途切れ途切れだが現れたのだ。歩を進めるたびに、その彩りは鮮やかになる。岬を埋め尽くす草花。そして樹木。まだ生えたばかりの命が、固い台地を押しのけ、力強く芽吹いていた。
「緑化政策が行われたのは、ほんのつい最近のこと。はじめはほとんど植物も芽を出さなかったみたい。だけどほら、彼らはこんなにも力強い。私たちには想像できないくらいに」
 灯里さんの言葉はほとんど耳に入らなかった。ただ眩しくて、あまりにも眩しすぎて心を奪われていた。今まで見てきた空虚な地面との対照は、信じられないほどに鮮やかで……。
「この子たちにも見せてあげたかった」
 私は背負鞄の中に眠る小さな猫を想って呟いた。
「大丈夫だよ。これからはずっと、この草木と一緒にいさせてあげられるんだから。きっとあの子たちも、安らかに……」
 灯里さんは言葉を切り、岬の先端まで歩いていった。黙々と。慌てて私もついていった。
 灯里さんは不意に、掬鍬(スコップ)を手に地面を掘り始めた。
 私も、すぐさま手伝う。言葉も無く、一心に堀った。
 ちょうど彼らが収まるほどの穴ができた。鞄の中から彼らを出してやり、深く抱きしめる。既に冷たく、あまりにも頼りない感触。空気を抱いているのかとさえ感じてしまうほどに、小さく、弱弱しい。しばらくそうしてから、そっと寝かせるようにして彼らを葬った。
「安心して眠ってください。そして、この島を見守っていてくださいね」
 灯里さんが言うと、彼女の胸の石がほのかに輝いた。
「猫妖精があなたたちを帰したのは、その願いからでした。おこがましいかもしれません。ですが、もう一度だけ、私たちに機会をください
 あなたたちの故郷と呼べる地になるまで、少し寝心地が悪いかもしれませんけど……」
 猫妖精の気配が消え、石の青い光が、涙のように彼らの墓に滴り落ちた。
 すると落ちた場所の土がひび割れた。と想うと、二つの芽が地面を突き破り顔を出した。
「ありがとう……ございます。応えてくれて」
 灯里さんはそう言うと、手を合わせた。
 目を閉じ、黙祷を捧げる。
 私もそれに習って深く祈った。
 この島の再生を。彼らの冥福を。
 そして、二度とこのような悲劇が起こらないように、と願いを込めて。

     *

 それから私たちはARIAカンパニーに大急ぎで戻った。しばらくあの場所に留まっていたかったけど、仕事をおろそかにすることはできない。
 いつになるかはわからないけど、私は信じていた。あの島はきっとよみがえる。双子の木の加護によって。人々のたゆまぬ不断の努力があれば……。
 しかし、傷は癒えても、その痕まで消えることは無い。
 地球でのことだって、苦い記憶として、残り続けた。それを学ぶことで、今の火星が存在している。
 忘れてはいけない。語り継いでいかなければいけない。
 それが、火星を、水の惑星としてアクアとして生かすため、私たちができる唯一のことなのだから。


【海の星】
 一ヵ月後。夜光石の寿命が切れる頃。
 双子の月が照らす夜。私たちは石を海に帰すため、ネオ・アドリア海の沖に舟を漕いでいた。
 二つの夜光鈴が、淡い光を放ちながら、揺れている。同じ形の同じ色。灯里さんも同じものを買っていたのだ。
 藍色の光が、寄り添うようにたゆたう様は幻想的。これがもうすぐ落ちてしまうなんて信じられない。
 私の操舵はまだ拙く、舟は揺れに揺れ、時折鈴の音が響き渡った。静かに揺れる夜光鈴と、楽しそうに踊る夜光鈴。二つの光は仲の良い姉妹のよう。
 アリア社長も、つられて踊るように揺れていた。
 夜空の星空は、今はその役目をなさない。海上には、数え切れないほどの舟が、それぞれに夜光鈴を乗せて浮いていた。それぞれの夜光鈴からあふれる光は、まさに地上の星空。まるで光の宝石箱の中身をばらまいて、海に浮かべたみたい。
「綺麗……」
 私は心奪われたように溜息を漏らす。まさに溜息ものの情景。
 やがて、方々で寿命の尽きた夜光石が、海に落ちた。ゆっくりと流れる流れ星のように、はたまた光の雨のように、最後の力を振り絞って光は海へと落ちていった。
 そして、私たちの夜光鈴も、チカッチカッと頼りなげに明滅する。
「そろそろだね」
「はい……」
 二つの石は最期の力を振り絞り、藍色の輝きを放つ。そして、夜の海に吸い込まれるように零れ落ちていった。
 藍の灯は、涙の雫のよう。
 水面を揺らすは数滴の雨。
 その雨は、私の眼からあふれ出た。
「あれ……なんで」
 とめどなく流れる涙の粒。淡く力なく消えていく光を追って、海に溶けていく。
「私もはじめてのときは泣いちゃったんだよ」
 灯里さんが懐かしそうに眼を細めた。
 その小さな光は、やがて深き海の闇に飲まれるようにフッと掻き消えた。
 あまりにも儚くて、切ない。
 その様に、私はあの二匹の猫を重ねていた。
 双の命はかの島に、双の灯は海に眠る。
 命は消え、そして生まれ。それの繰り返し。
 海の星たちは全て流れてしまった。夜空の月と星々が、代わりの照明となる。休憩時間はもう終わり。一所懸命に光を届けていた。
 いつもの光景。それでも、まるでお祭りの後のような余韻があたりに漂っていた。
 私たちはARIAカンパニーに帰る。
 舟を漕ぎ、日常に戻るため。
 化け猫たちの言葉がよみがえる。
 ――ずっと一緒だよ。アイちゃん。
 灯里さんの姿で告げられたあの言葉。それは、私が望んでいたこと。
 決して叶わない願い。
 でも……。
 私は首を振る。
 永遠に続くことがなくたって、今、この一分一秒は間違いなくここにある。
 今楽しいと思えることは、今が一番楽しめる。
 確か、灯里さんのメールに書いてあった、アリシアさんの言葉だ。
 だから、私は自信をもって一人前を目指せばいい。
 泣くのはあとでいくらでもできるのだから。
「灯里さん」
「なあに?」
「私、いつかきっと、灯里さんを超えるような水先案内人になってみせますよ」
 灯里さんは微笑んだ。
 そして、なにか思いついたふうに、
「あ、そうだ。今度の休暇だけど」
「はい」
「一緒にピクニックに行かない?」
「それは、楽しみですね」
 私は心から喜んだ。
「ぷいにゅー」
 アリア社長も歓喜千万だ。
 舟を漕ぐ。海の鼓動を感じる。
 この一瞬一瞬が愛おしい。
 漕いだだけ舟は進む。止めようと思えば止められる。
 だけど、時間は止め処なく流れ続ける。いわば急流を下るようなもの。逆らおうとしても、決してさかのぼることは出来ない。
 だったら、景色を眺めたほうがお得でしょう。
 今日も明日も、舟を漕ぐ。
 ネオ・ヴェネツィアの素敵を届けるため。
 明日への航路を拓くために。



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樹

似非店員:樹
百合と眼鏡が好きな人です。
日本語、和風なものも大好物。
掲載しているものは、主に百合もの、ファンタジー小説となっております。
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